2008年4月27日日曜日

『ロジカル・シンキング』第1章相手に伝えるということ

『ロジカル・シンキング』(東洋経済新聞社)の第1章において、メッセージを次のような3つの要件を満たすものと、定義している。


①コミュニケーションにおいて答えるべき課題(テーマ)が明快であること

②その課題やテーマに対して必要な要素を満たした答えがあること

③コミュニケーションの後に、相手にどのように反応してもらいたいのか、つまり相手に期待する反応が明らかであること


①について

確かに、まず相手とのコミュニケーションが成立し、相互のやり取りにおいて生産していくためには、課題の共有がまず第一である。

課題を明快にする上で、ボトムアップ型に多様な問題をグルーピングに気を遣いながら要約し、論理的に秩序立てていく必要があるでしょう。

とはいえ、その論理構造も自分だけが分かればよいのではなく、その筋道が相手にも理解されなければなりません。


②・③について

またその課題が共有された上で、何が問題の制約条件となっているのか、論理構造を改めて見つめ直す必要があります。そして、それをどう克服していくのか、それは修飾語によって作られた戦略の定義の言い換えとなるのではなく、相手の実情に合わせた具体策でなければなりません。

期間設定、対策内容の具体化はもちろんですが、問題の本質を見失わないように、グルーピングした問題の最上位にしっかりと対応していることが求められるのでしょう。

また、その結論へ行く過程の中で、相手に求める認識段階をしっかりと設定しながら、常に相手の立場に立った進行が必要なのだと思います。


相手に伝えること…私たちは自分の意見をただ漫然と述べ、相手の感性に依存しながらコミュニケーションをとる傾向がありますが、そうではなく、問題の本質を見極めながら、それを伝える過程と結果として何を生み出そうとしているのか、相手にどのように行動してもらおうとしているのか、しっかりと見定めながら行うことが必要であることを痛感しました。

(自分の頭の中で、いろいろとと内容が飛ぶのは、結論・根拠・方法の論理的秩序立てができていないせいなんでしょうね(汗))

2008年4月26日土曜日

勝間式『自分ナビ』宣言(4/26)

今回は仕事に関して、自分の時間と会社の関係性の両立を図る上での、仕事の仕方への提言がなされていました。

昔は、仕事はどんなものでも引き受けよ…ということが暗黙知になっていたように思います。
実際、働く仕事を覚える場合にやはり自らの経験を通して覚えていくことが一番身になるという考えがその根底にあります。

そしてそれが根強いからこそ、徒弟制度などが昔から成立していたのだと思います。


私は、その考え方自体を結して否定しようとは思いません。

ただ、自分のおかれている人間関係と社会的役割を考えたときに、行える仕事には限界がありますし、逆にそのような関係性をないがしろにした仕事の安請け合いは、返ってその自分の仕事環境を壊してしまうものになりかねません。

また制約条件の理論から考えれば、その仕事の煩雑さと非効率から、自分自身が制約条件となりかねないのです。


その意味で、勝間さんがおっしゃっていることはよく分かります。

ただ、フレームワーク力も含め、最近はすべてマニュアル化されてきている傾向がある昨今、そこに各自の創造力が失われていることも確かであり、安易に関係性のみを追求することがよいとも言いかねるのです。

失敗を通して学ぶことも多いわけですから…その意味で、それを保障する仕事環境の関係つくりが大 事になってくるような気がしてなりません。

2008年4月20日日曜日

本を読む本:1読書技術と積極性

読書とは、筆者との積極的対話である…、『本を読む本』の[1読書技術と積極性]を読んでいて、まず感じたことでした。


学びにおいてもそうですが、確かに本から与えられた情報をただ集積するだけでは意味がありません。

それをどう、自分の思考における実用範囲を広げるアイテムとして使っていけるか…が大切なのでしょう。


ただ漫然と読むのではなく、”深く”読む…。このことは、筆者の知見と自分の知見との乖離を埋める作業であるとともに、どう自分の経験等に照合しながら、自分のフレームワーク力を育むのかという作業でもあると思います。


とはいえ、普通の対話と違い、分からないことに対して、1つ1つ筆者が答えを差し延べてくれるわけではありません。


実際、学校での学びと同じく、自分の学習教材を教師が教授する…読書はそのようなスタンスでありながら、その学びとの本質的な違いは、理解の現状に合わせて解説をしてくれたり、読み進めるための視座を直接本は教えてくれるわけではないところにあります。


すべては自分の知性や行間を読むための論理的思考力、想像力、洞察力など、あらゆる能力が求められることとなりますし、それをしっかりと動員しながら読み進めることで、新たな自分に塗り替えていくのでしょう。


ですから、本を読むことは対話であるとともに、五感をフルに生かしながら、自分を客観的にとらえ、常に進化する自分を追求していくことに他ならないのではないでしょうか。

勝間式『自分ナビ』宣言(4/19)

情報過多である現在。その中でよりよく生きるために、情報を精査しながら吸収することに力を入れる傾向があります。

ニュースなどの加工された情報を批判的に見つめながら、より自分の考えを深めていくためにも、1つの問題に関わる情報は多ければ多いほどいいと考えがちだからです。


そんな中で、『中央公論』(5月号)で、梅田望夫さんが次のようなことを述べています。

『最後に読者に伝えたいことがあります。広く「知的生活」と言いますが、知的生活というのは知的消費と知的生産を含んだ概念です。梅棹忠夫が述べているように、本を読むだけで終わるなら、それは知的消費であり、感想文を書くなりして初めて知的生産となる。その差は突き詰めて言えば「書く」かどうかにある。知的生活を充実させるにあたり、最初の関門は「書く」ことだと思います。』


今の自分の思考を客観的に見つめる上で、またそれを整理する上で、書くという作業は大切になるでしょう。

ただ、自ら吸収した知識を、その定着度を図る上で文章化してみる・・・これには意外と多大な労力がかかるものです。

実際、自分の言葉でとなると、その語彙力に限界があるからです…。

とはいえ、このインプット⇒アウトプットの連鎖が、やがて文章を深みのある、それでいて無駄のない情報を発信していくことにつながるのでしょうね。(ただ、”無駄のない”となると、ロジカル・シンキングなどの論理的思考とその構成の技術等は必要ではありますが…)


”情報入力と出力の比率は5:5に”…常に意識しながら生活をしていきたいものですね。

2008年4月13日日曜日

『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』エピソード2

『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』のエピソード2では、”連結経営”のことが書かれています。


”連結経営”とは著者の言葉を借りれば、”本業に密接にかかわる副業を行うこと”です。

ただ、このことは人生に置き換えることもできるでしょう。


実際、自分の持ち味をベースに、それに付帯する他の才能をどう伸ばせていけるか…このことは自己啓発という視点はもちろんのこと、人的リソースを広げる上でも大切なことです。

そして、そのような自分が感じられたとき、さらなる自己投資への関心は高まるでしょうし、それが日々の生活をいきいきと生きることに繋がっていくと思うのです。


自分の能力を発掘するのに、いろいろと挑戦することは大事ですが、ただやみくもに挑戦するのは、大海の中で美しい貝殻を探しているだけにすぎないのかもしれません。

自分という真理の大海に連なる、これまでの系譜を辿りながら、その中にある新たな自分への気づきという視点も大切にしなければならないのかもしれませんね。

勝間式『自分ナビ』宣言(4/12)

勝間和代さんは、自分のいる環境が変わった場合にすべきこととして、次の2つを挙げています。


①周りの人から徹底的な情報収集をすること

②自分が周りの人に貢献できるポイントを見つけて信頼関係を構築すること


自分自身が置かれている状況をしっかりと把握しながら、その中で自分のセールスポイントをしっかりと発揮していく…このことが独善的にならずに、しっかりと社会貢献するところまで昇華できるかがポイントであることは、これまでの勝間さんの生き方、人生哲学で貫かれているものです。


今回、この2点に触れ、改めて自分の立場を再認識しながら、自分の持ち味が何なのか、また職場における関係性の作り方(これが知的生産性を生む大事なポイントでもあります)を再度見直す契機となりました。

また、自分を冷静に見つめていく上で、書物や雑誌等で学んだことを書き記すことは、自分の知的関心を整理するだけでなく、どこに生活の軸をおくのかを見つめる、いい機会になると思いました。


これから、自分の琴線に触れた言葉などを書き記しながら、自己研鑽していければと思います。